みなさん、こんにちは。
わしんデンタルクリニックの斎藤です。
今日は「母の日」についてお話をしたいと思います。
たまたまみていたテレビで、女優の高島礼子さんが出演されていたお線香のCMが流れました。そこで、初めて「母の日参り」という言葉を聞きました。
日本香堂のHPから転載させていただきました。 |
私の母は早くに母親を亡くしており、私が幼い頃に「幽霊でも良いからお母さんに会いたい。」と言っていたことを思い出しました。
「苦しい時や辛い時は、お父さん、お母さんが守ってくれる。」と言っていた意味が、やっと今解るようになりました。
「苦しい時や辛い時は、お父さん、お母さんが守ってくれる。」と言っていた意味が、やっと今解るようになりました。
「大人にも母が恋しい季がある。」その通りでしょうね。
🌷母の日の始まり🌷
みなさんもよくご存じ、5月の第2日曜日は「母の日」ですね。
日頃母親に悪態をついている?子供も、この日ばかりは母親へ日頃の感謝を表すプレゼントなどを送っているでしょう(笑)
この記念日、実は20世紀初頭のアメリカで生まれたのだそうです。
「南北戦争中に傷ついた両軍の兵士たちを救援・看護し続けた献身の人」そんな母親を敬愛するフィラデルフィアに住む女性が亡き母を偲ぶ日々の中で、世の母親に感謝を表す記念日をつくることを思いたちます。
彼女の構想に共鳴した周囲の助力もあり、1908年5月10日、彼女の母親が長年教鞭をとっていた教会で「母の日」を祝う会が催され、彼女は母が好きだった白いカーネーションの花を祭壇に捧げました。この時が公的な最初の「母の日」といわれます。
「母の日」の輪は全米に広がり、1914年、5月の第2日曜日を「母の日」と定める法律が可決され、「母親のための記念日」誕生となりました。
同年、日本では青山学院大学のアレクサンダー教授によって「母の日」を祝う行事が紹介されたとそうですが、一般的には1947年、米国にならって5月の第2日曜日を「母の日」と制定し、全国的な行事として知られるようになりました。
💛母の日参り💛
亡き母を偲ぶ想いから生まれた「母の日」…。そんな記念日の由来に心を合わせるように、最近、ゴールデンウィークから母の日にかけて、亡くなられたお母さんの墓前を訪ねる『母の日
参り』の習慣が広がりを見せているのだそうです。
この慈しみの芽を大切に育てていこうと応援活動が広がっており、そのシンボルとなるのが、映像作家・奥下和彦さんの『母の日参り』のロゴマークです。
彼は、「報道ステーション」のオープニング「赤い糸」の映像の作者です。今春から彼が作った “1本の赤い糸”が紡ぎだす「母の日参り」のアニメーション動画がお目見えしました。
https://www.youtube.com/watch?v=GtPPvrvedfo
彼は、「報道ステーション」のオープニング「赤い糸」の映像の作者です。今春から彼が作った “1本の赤い糸”が紡ぎだす「母の日参り」のアニメーション動画がお目見えしました。
https://www.youtube.com/watch?v=GtPPvrvedfo
これを機会に、お母様ががご健在の方は、ぜひ「ありがとう」の気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。
私の母は大病を患ったものの、故郷で父とともに元気に過ごさせていただいております。日頃は離れて生活しており、たまに電話で話す時も小言や親を怒鳴ったりすることが多々あります…。
母の日くらいは反省して、感謝の言葉を伝えようと思いますが…、できるかな?
またお母様を亡くされた方は、お母様を偲びお墓参りなどされてはいかがですか?
そして、早くにお母様を亡くした私の大切な友人には、母の日参りのお線香を送りたいと思います。
そしてみなさんに、「いつもありがとう(人''▽`)」
今日もみなさんがたくさんの笑顔に囲まれますように☺
そしてみなさんに、「いつもありがとう(人''▽`)」
今日もみなさんがたくさんの笑顔に囲まれますように☺